からして何が言いたいのかまとめてからの

よくよくいろんな場面に遭遇するんだがいろんな事があっても結局誰のせいでもなく自分のせいなのにと思うのだが結局人のせいにしているのが目に余る。

全部を自分でしょい込むのも体に悪いのだが結局自分がその場所その時間にそこにいるのだから仕方ない。

 

たとえば、仕事だともっと勉強してれば変えれてたはずでそれが嫌ならば自分で何か勉強してその上を目指すか別のところに行けばいい。

 

自分の子供が健康で生まれてこなかった人でもそれでもすべてを受けいれ誰のせいでもなく育ている人は多くいる。

 

それでも誰かのせいにしたがる人もいるのも事実。

 

責任転嫁することにより自分が救われた気になるが現実は、そうでもない。

それが、一時間後いや、数年後我に返ってくる。

 

いろんな人と話をしたり生活を知ったり自分自身の経験から言うとすべて帳尻っていうものがあってうまくなっているなと実感する。

 

神がいると俺は、信じないが結局罰があたるとかそういう迷信や教えがあるのと一緒でそういう風な仕組みにこの人間界はなっているのだろう。

 

誰も言わないがそれが見えないルールなんだろう。

 

人が人を殺すのもいけないししたくないだろう。

だが、人を人が殺すのも正義というものを振りかざし殺すこともある。

 

それも、見えないルールで守れれているのではないだろうかと。

 

これは、おかしいだろということもそれも見えないルールなんだろう。

 

不公平という言葉を発するものこそが不公平を望んでいるもので平等だと不平不満をいうものだろう。

 

物の考え方ですべて嫌な事でもそれも受け入れそれをしていくことで何かを得ると俺は、信じている。

つらくてもたとえ苛立ちが出たとしてもそれは、生きている証拠であり少しの幸せで心がなごむ。

人間がどのように生きれば目に見えないルールとやらに当てはまるんだろうかとふと思う。

 

とにかく生きてれば何かあるしそれが俺の選んだ道でDNAの旅で終わらすつもりはない。